書斎にある野球部関係の思い出の品々が語る

 私は書斎で仕事の合間に時々椅子を回転させながら見渡すと野球部に関係する品々が目に付く。その品々は金色グローブのレプリカ、ウイニングボール、記念誌、スクラップ帳である。それらを手に取り眺めたり、読み返しているとそれらが私に懐かしい思い出を語り掛けてくる。その四つの具体的な品とその思い出の内容について語る。
 一つ目の品は昨年65周年記念祝賀会の時に贈呈されたOB会功労賞の金色グローブのレプリカであり、机の側方にある整理箱の置物台に載せてある。私は野球部に1962年に入部、1969年に野球部OB会に入会、1995年から2期小松先生から6代目野球部長を引き継いだ。同時期に13期榊山先生が3期長崎先生から3代目OB会長を引き継いだ。この二人のコンビは私の教授定年を迎える前年まで13年間続いた。野球部およびOB会の活動は活発かつ円滑、円満に管理運営された。またOB会員同士および現役部員との人間関係が強い絆で結ばれ、公私に渡り有益なものになった。最近の出来事としては20期津田元小樽市医師会長との医師会と市立病院の連携、32期岩澤クリニック院長との泌尿器科主治医関係、35期川原田心臓血管外科教授との医師派遣、36期竹林円山整形外科病院長との実姉の緊急入院対応、などで有難い配慮を受けた。また野球部卒業生4人が小樽市立病院での初期臨床研修医を希望した。これまでに61期真屋さん、63期鈴木君、64期銭谷君、65期大嶋君の諸君達が野球部で学んだことを発揮して頑張ってくれたことを嬉しく思う。
 二つ目の品は2009年第52回東医体で見事に優勝し、その決勝戦でのウイニングボールであり、それを57期清水君が私のところに届けてくれた。部員達がこれまで部長であった私に感謝の気持を示すために贈ることにしたそうであり、大変嬉しく感激した。そのボールは雨の中の決勝戦のため泥で汚れていたので、きれいに拭いて、机の後方にある本箱の棚に飾ってある。私は部長在任中は部員達に対して野球面だけでなく学業と生活面においてもかなり厳しい態度で接した。それは札幌医大で最も古い伝統のある部であり、また学内外で活躍しているOB達もいることからその存在、活動が学内で注目されていた。また私は当時学生部長であったため、部活動および学生活動が当大学の基準、方針に相応しいかを管理、指導する立場にあったことによる。
 私の部長退任後の部活動は部員の自主性を尊重する方針で行っており、それで優勝を果たしたことは立派であり感心した。この指導方法は現在の日本の各種スポーツ団体において採用され、効果を上げている。なお、部員達が私の学生部長としての立場、役割を理解して飲酒や大学祭運営問題などで協力的に活動してくれたことを誇りに思った。私の野球部員への要望は明るく、素直に、前向きな態度を常に取るように努めることである。このような人達のいる部は雰囲気が生き生きとしており勢いと夢がある。野球部員として熱心に、まじめに活動することで有益なことが得られる。①任務を地道に粘り強く果す。②体力、スタミナがある。③精神的ストレスにタフである。④問題解決の企画力、集中力、達成力がある。⑤チームプレーができる。これらのことを部活動を通じて経験し、実力を付けることは将来、医学・医療界で立派に活躍できる。
 三つ目の品は野球部記念誌であり、本箱の中段に並べてある。2004年創部50周年記念誌を発刊した。その時に5年毎に記念誌を発刊することが決まり、55周年、60周年そしてこの度65周年記念誌を発刊することになった。記念誌には野球部およびOB会の活動報告、祝賀会での挨拶文、各個人の投稿文そして招待者の講演文、そしてそれぞれの時期の写真が載せてある。50周年記念誌には元中日の選手で名球会員谷沢健一氏の講演文が掲載されている。ここでの注目点は「3割で打つには目標を3割5分に高めて努力しなければ達成できない。目標を高めて頑張ることが大切である。」であった。55周年、60周年の時は日本ハムファイターズコーチの白井一幸氏に講演を依頼した。そこでの注目点は「日本ではコーチが選手に教え過ぎであり、その成果の責任も取らされる。米国ではコーチは選手に長所や問題点を気づかせ、自分で対応するよう支援する。その成果の責任は選手がとる。この米国のコーチ法を用いて日本の若手選手を育成し成果を上げる。」であった。
 四つ目の品は教授に就任した時から教室員や医学生の管理、教育に活用するため世の中の重要な出来事の記事、講演、情報を収集した。このスクラップ帳は本箱の下段に20冊位並べており、スポーツ関係は6冊でその中に野球関係のものが収集されてある。昨年最も注目したプロ野球人は大谷翔平選手でした。彼は帰国時の会見で「新人王をもらうなど楽しく、充実した1年間であった。しかし自分を含め日本の技術力が米国において思った以上に低くその差の大きさを痛感したので、その対応を早急に行う必要がある」と語った。プロ野球人の技術力とは試合で通用する、かつ勝つために必要な技術を持っていることである。大谷選手が成果を上げるには場数を多く経験し、取り組みを継続、集中、徹底することである。
 また子供達との会見では「大リーグの雰囲気に早く馴染むために良いコミュニケーションを取ることであり、特にきちんと挨拶をすること、そしてまじめな態度で接することが大切である。」と強調した。このような彼の態度が選手仲間だけでなく、ファンやマスコミなどからも好感を持たれた。
 米国の大リーグの実情に詳しいスポーツアナリストのタック川本氏の講演があった。彼は「米球界では選手が下部組織を経て一軍であるメジャーに昇格するまで平均5年4ヵ月かかる、一方毎年2千人近くの新人のうちメジャーに昇格できるのはわずか5%という厳しい現実がある。そこでは協調性や人間性がないとふるい落とされる。うまくいかない時は自分のせいだと気付き、他人に感謝できる選手は生き残る。」と語った。
 日本プロ野球でも毎年期待されて入団した者のほんの一部しか活躍できないのが現状である。彼らは体格、体力、バランス感覚、瞬発力、スピードのプロのレベルが高いことを痛感する。特にランニングの練習は質が高く、量も多く、それについて行くことが難しい。その対応として心得えておくことはプロ野球選手は持って生まれた才能だけでなく、限界まで自分を追い込んで行う練習があってこそ結果を残せる。特に走り込むことが最重要であり、その実行により体力、技術力が確実に向上すること、気力、自信を回復させスランプから抜け出すこと、そして負傷の予防にもなることである。長期に活躍する一流選手とそうでない選手の差はこのランニングへの取り組み方によって決まる。プロ野球で勝利を得るにはチームプレーが必須であり、それを自然に出来る選手が選手仲間から信頼、尊敬され、チームにとって貴重な存在となる。この点で高い評価を受けたのはニューヨークヤンキース時代の松井秀喜氏であった。これまで語ったことが野球部員およびOB会の先生方の皆さんに少しでもお役に立てば幸いである。

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