この1年間の疼痛医療に関する学術活動
はじめに
平成28年の3月から7月までの4ヵ月間という短期間に疼痛医療に関する学術活動が3月に雑誌「ペインクリニック」総説論文、5月に小樽・後志地区セミナーでの基調講演、日本麻酔科学会第63回学術集会の共催セミナーの座長、6月に日本疼痛学会での特別講演、7月日本ペインクリニック学会第50回大会でのシンポジウムの座長と過密なスケジュールのもとに行われた。その概要について述べる。
1.雑誌「ペインクリニック」の総説論文(ペインクリニック37:381-387.2016)
「先達からの贈る言葉-疼痛医療での出会いと思い出づくり」
本誌では私がこれまでの疼痛医療において熱心に取り組んできた中で、術後痛管理、集学的・学際的な疼痛医療、緩和医療そしてペインクリックのプロ育成の4項目の思い出についての見解、提言を述べた。
- 術後痛管理
術後痛管理についての研究会の変遷について述べた。 - 集学的、学際的な疼痛医療
最近、わが国のペインクリニックでは扱う疼痛患者が多種多彩になっており、患者に満足感を与える医療を行うには、どうしても多くの専門分野にわたる集学的、学際的な医療とその実践のチーム医療が重要になる。最近、疼痛管理で注目されているチーム医療には、慢性疼痛、がん疼痛患者に対するリハビリテーション医療、心理学的療法を用いた集団療法、そして緩和医療がある。論文での項目は以下である。
1)リハビリテーション医療:①疼痛患者とリハビリテーション療法、②ペインクリニック的療法の応用
2)森田療法的集団療法の有用性:①慢性疼痛患者に対する集団療法、②「クロパンの会」の内容と方針 - 緩和医療
1)がん患者終末期医療に関わった私の理由
2)緩和医療の学会活動:①日本緩和医療学会での活動、②緩和医療の大学内での活動、
3)終末期患者から学んだ貴重な経験 - ペインクリニックのプロ育成
1)プロを目指す者に必要なこと
2)わが国のプロ育成の実情
3)プロのペインクリニシャンの心構え
4)神経ブロックの技とコツの見解
5)ペインクリニックのプロになる道:①技は自分で実践し磨いて得られるが、コツは自分の周囲の人達との人間関係を自ら積極的に働きかけて得られるものである。②職人技はプロの技であるが、達人技はプロの技とその技をうまく発揮させるコツを持つ。③人は自分1人では何もできなく、多くの人達の中で生かされている。その中で、自分の仕事の技とコツを患者や世間の人達のために最大限活用し、高い評価を受けてさらに励み、成長する。これが真のプロの道である。特に若い皆さんには国内外で活躍の機会に積極的に挑戦する中で、良き出会い、貴重な思い出づくりを積み重ね、実力、実績を付けてわが国の疼痛医療の発展に寄与することを願っている。
2.小樽・後志術後痛管理セミナー
平成28年5月20日(小樽)
基調講演:「わが国の術後痛管理の変遷」
- 経緯:1996年に代表世話人に花岡(東大)先生、世話人に弓削(広島大)、十時(佐賀医大)両先生と私(札幌医大)がなり、「術後痛研究会」が設立された。そこで全国規模での、統一されたプロトコールを用いての術後痛鎮痛法の研究が開始された。
- わが国においてPCA(patient controlled analgesia、自己調節鎮痛法)の普及に務めるために術後疼痛研究会の中にPCA研究会が設けられた。
1)1999年に発足のPCA研究会は、私が代表幹事になって、術後痛研究会からの5施設と15社のPCAを取り扱っている医療機器メーカーの人達が会員となって活動が開始された。
2)研究会の活動として、PCAの啓発、普及のために「PCA(自己調節鎮痛)の実際」の本を出版した。 - 2004年に術後痛研究会およびPCA研究会は発展的に解散した。
- 2007年に術後患者のQOL向上の対策の一環として術後痛サービス(postoperative pain service:POPS)研究会は私が代表世話人となり発足した。
- 2009年:本研究会は私が顧問となり代表世話人を森田潔先生(岡山大教授・学長)に引き継いで、「術後痛サービス(POPS)マニュアル」を刊行することになった。マニュアル作成実務委員会が発足し、本書の執筆・編集作業に当たり、2011年に出版となった。
- 医療現場での要望に応じて、本研究会のマニュアル作成実務委員会は、2015年に改善、改訂を行って「ポッケト版術後痛サービス(POPS)マニュアル」を出版し対応した。
- 展望:これからの医療にはビジネス精神、サービス精神が必須である。術後痛サービスが高い評価をえるには「三方(買手、売手、世間)これ良し」の商いの教訓が必要である。患者側(買手)に満足、幸せ感、医療者側(売手)に安全、安心、利便性そして、病院側(世間)に経営上有益性をもたらすことである。
3.日本麻酔科学会第38回学術集会
平成28年5月26日 福岡
共催セミナー座長 並木昭義(小樽市病院局長)
「麻酔科が貢献する病院経営を考える
~周術期管理のシステム化~」
- 福島秀久(済生会熊本病院病院長):「周術期管理における疼痛管理の重要性」
疼痛があると動きが悪くなりリハビリが進まないばかりか、肺塞栓症などの重大合併症をきたし、何より患者にはストレスが大きくハッピーではない。結果的に在院日数が延長し、医療費を消費することになる。 - 森松博史(岡山大学麻酔・蘇生学講座教授):「チームではじめる術後痛管理」
強い術後痛は離床・患者回復を遅らせ、在院日数を増加させ、患者の予後を悪化させる。 これからは術後痛管理も周術期管理の一環として、チームで取り組むべきであると考える。
4.第38回日本疼痛学会
平成28年6月24日 札幌
特別講演
「レジェンドからのメッセージ-若き疼痛研究者へ:がん疼痛機序解明と鎮痛戦略研究のメッセージ」
- 札幌医科大学麻酔学教室の基本方針
臨床に強く、臨床に役立つ研究を行い、医師、社会人として評価される麻酔科医を育成し、社会、地域医療に貢献する。 - 研究に関わる10箇条の心構え
1)研究は自分のために行うものであり自分で責任を負う。
2)研究目標およびテーマは自分の身近なところから見つけ出し、プロトコールを作成する。論文作成経験は必須である。
3)新しい事実を明らかにするのが研究であり、結果の分かっていることをする実習とは異なる。
4)研究は厳しく辛いものである。それを乗り越える楽しみと喜びを体験する。
5)研究には王道はなく、誠実に地道にねばり強く、行うのみである。
6)壁に当たる、スランプに陥った場合、自分で研究の方向性を判断せずに必ず上司に相談する。
7)研究の遂行には研究・実験の準備に4割、実験遂行に3割、学会発表、論文作成、投稿に3割の配分で行う。
8)研究成果を積極的に国内外の学会で発表し、自分の仕事に対する客観的な評価をうけ、仕事の完成を目指す。
9)研究は論文を欧文で作成し、厳しい査読、審査を受けて雑誌に掲載されて完了する。科研費等研究費の取得を目指す。
10)研究成果および貴重な体験を職場あるいは一般社会に還元する。 - 重点研究:がん疼痛機序解明と鎮痛戦略
1)臨床で疼痛コントロールに難渋するがんの骨転移による疼痛に対してマウスに骨がんモデルを作製して疼痛メカニズムの解明と新たな疼痛対策のトランスレーショナルリサーチに取り組む。
2)がん疼痛終末期医療の質を高めるため緩和ケアチームの結成および寄附講座緩和医療学を設立し、患者対応および家族、職員、市民に対する教育、啓発活動を行う。
3)がん疼痛研究に対する受賞
①平成19年度北海道科学技術賞(2007年)は並木昭義が「がん疼痛の機序解明と鎮痛戦略としての治療法および管理体制の確立と普及への貢献」で受賞した。
②第30回日本麻酔科学会山村記念賞(2011年)は川股知之(現和歌山県立医大麻酔科教授)が「がん疼痛を科学する」で受賞した。 - 若き疼痛研究者に贈る―活躍、成長するために必要な条件―
1)立派な仕事をするにはPANの心掛けが必要である。Priority優先事項、Action行動、Never give up 諦めない。
2)円滑な人間関係には謙虚、感謝、貢献の姿勢が必要である。その姿勢は人に好かれ、信頼され、尊敬される。
3)良き人脈形成には「コミュニケーションあいうえおの心得」が必要である。
心得のあ:明るいは安心感を、い:生き生きとは勇気を、う:美しくは快感を、え:笑顔は幸福を、お:面白いは楽しみを人に与える。 - 2人のノーベル賞受賞者の出会いと提言
1)根岸英一先生(80歳、米国パデュー大学特別教授)
①化学研究者の心掛けは熱意をもって野心的に挑戦する、基礎的なことをしっかりとかつ広く身に付ける、そして創造的に物事を進めていくことであると強調した。
②若い人達には勇気と元気を出して、海外に出て活躍する夢を持ち続けることを勧めた。
2)鈴木章先生(85歳、北海道大学名誉教授)
①日本は資源のない国なので、日本独自の付加価値の高い、人の役に立つものを創り出し、それを海外に輸出して財源を得なければ生き延びていけない。そのことをしっかり自覚して、きち んとした仕事、研究を行うことが大切であることを強調した。
②若い人達は自分のため、日本のため海外に出て、世界の多様な人々の中で身を置き切磋琢磨して、世界に通ずる活躍をすることが大切であると述べた。
(6)日本疼痛学会に対する要望
若き疼痛研究者には夢と希望がある。それを勝ち取るには自分の才能、技術だけでなく人間性を積極的に磨き上げるとともに周囲に信頼、喜ばれ、役に立つ行動をする。一方若手を立派に育成するには大学、研究施設、学会等の組織においてしっかり教育する責務がある。組織は人なりである。組織が発展するにはそこにいる人が進化、成長する必要がある。日本疼痛学会の果す役割は重大である。
5.日本ペインクリニック学会第50回大会
平成28年7月8日 横浜
基調シンポジウム:「ペインクリニックの将来何を伝え、何を残すか」
座長:並木昭義(小樽市病院局)
世良田和幸(昭和大学横浜市北部病院)
このシンポジウムのテーマは、今大会のメインテーマでもあり、ここでは日本のペインクリニックの黎明期を経験してきた4名の先生方に、これまで培ってきたペインクリニックへの思いとこれから未来へ託す思いを厚く語っていただくことにした。
- ペインクリニシャンとしての50年の経験から:宮崎東洋(東京クリニック)
1966年の入局当時はペインクリニックの施設が数箇所と少なくすべての勉強が主に外国の文献を探しながら進めざるを得ない状況でした。また、必要な種々の器具も自分で作成する、使用する薬剤の量も試行錯誤する毎日でした。この体験が後日わが国で活躍できるペインクリニシャンに伝える、あるいは育てることに大いに役立つことになった。 - ペインクリニックという医療を普及・定着させたい:増田豊(東京クリニック)
ペインクリニシャンとして認知されるべき条件として、診断能力は必須であり、その向上のためにも他科の医師と対等に議論できなくてはならない。ペインクリニックの診療が定着するためには、有能な後輩を育てることであり、教育システムの構築も重要である。 - 痛みの治療に求められるもの:村川和重(宇治徳洲会病院)
高齢化社会を迎えて、がん患者の増加が予想される現況においては、がん疼痛に対する治療はペインクリニシャンにとって大きな任務と考えている。ペインクリニックの診療をさらに広めるには、多くの診療科と堅密な連携を図ることが非常に重要である。 - 益々重要になる痛みの治療:小川節郎(日本大学)
われわれペインクリニシャンは神経ブロックという貴重な治療手段を持ち、さらに痛みの薬物療法にも精通している。しかし、日々の臨床の場面では、それらが十分に奏効しない慢性痛患者に遭遇する。将来それを克服するためにもわれわれが身につけるべき知識、技術は多義に渡り、ペインクリニックがやりがいのある医療と実感している。
おわりに
人には引き際がある。私が論文作成、講演発表、座長担当等の学術活動に対する意欲がなくなるか、または指名されなくなった時が私の医学・医療界からの引き際である。それが突然くるか、徐々にくるかは分からないが、晩節を汚さないように心掛ける