世を知るには辞典を活用

私は講演、挨拶、会議で話す、また論文、記事を書くに当たって、言葉を選び適切に使用するため、辞典を活用することに努めている。「辞典」は言葉を集めて発言、語釈、用法などを説明した書物である。「言葉」は音声や文字によって思想・意思・感情などを伝達する。そして「世を知る」とは世情に通じる、すなわち世間の事情、人情をわかることである。

 私が最近最も興味ある言葉は「頑張る」である。「頑張る」には2つの意味がある。1つは困難に屈せずやろうと思った事をやり続ける。我慢し努力する。もう1つはゆずらず自説を主張する。自分の意地を通す、である。言葉は状況に応じて漢字、ひらがな、カタカナで表現され、さらに語尾の文字あるいは音調を変えること、次に続く語句によってその意味が大きく異なる。頑張れと人を励ます場合、辛い闘病生活を送っている者、人手不足などにより厳しい状況下で働いている者にとってはこれ以上頑張れと言うのかと不満を述べ反発する。相手の状況をよく知らずに安易に頑張れと言うことは適切でない。しかしそのような人の多くは自分の殻にとじこもり、悲観的な発想のもとで行動する。また自分のまだ発揮していない能力を知らない。そのことに話し手、聞き手がお互いに気付き、適切な対応をしなければ気持ちが通じないし、成果、効果も上がらない。病気の者にはお大事に、何とか元気になってほしい。また苦悩している者には今の状況を何とか耐えて、力を尽くして励んでほしい。そして自分独りで悩まずに、他人の助けを遠慮なく求めることを勧める。

 東日本大震災で最も多く使用された言葉が、この「頑張る」である。被災者が「頑張ります」の言葉を発した時は「やせ我慢している。また悲しみを隠して無理やり笑って立っている」かもしれないことを、第三者の人達は察して対応することが大事だ。被災者が本当に望んでいることは「みんなの力を合わせて頑張りましょう」である。単なる励ましではなく皆がお互いに寄り添えるようにするのだ。「1日に3回なんでもいいから人に何かを頼みなさい」、そうすれば心地良い人間的つながりがつくられる、と言う専門家もいる。頼みや助けを言えないのは「恥ずかしい」、これくらい「自分でやらなきゃ」、誰にも「負けたくない」、そんな思い込みやプライドが強すぎるからだという。こうした人は自分の本当の能力、実力そして外部評価を知らないことが多い。さらに自分の責務、役割を果すことをせずに、自己中心的な評論家になってしまう。評論家の悲観論が世間に流行るのは、その発言に責任をもたなくてよいからである。アラブには次のような格言がある。賢者は物を見てから話すが、愚者は人の話を聞いて話す。しかも自分の都合のよいように聞いて解釈して話すので一般の人々に誤解を与え、困惑させる。

 今回の大震災で天皇陛下と菅首相の行動に対する評価に大きな差があった。それは両者の自分の立場、役割に対する自覚と覚悟の差による。「自覚」は自分の状態、能力、値うち、生き方などについてはっきり知る。「覚悟」は予測される難事に心の用意をし、ためらいや迷いを捨てて決心することである。天皇陛下は78歳というご高齢にもかかわらず、皇后さまと毎週ヘリコプターで被災地を訪れて、被災者、支援者を親身に励まされていた。ご自分のことより人々のことを優先された姿は本当に雄々しく、心から尊敬の念を抱いた。それに対し菅首相の行動は、残念ながら自分の存在を示すパフォーマンスとしか見られなかった。危機に臨んでトップとしての責任感が伝わってこない。緊急事態ではトップは絶対的権限を持ち責任を一人で負う自覚と覚悟が必要である。それを伝える言葉の力に国民は鼓舞され、希望をもって闘いに臨むことができるのだ。希望は強い勇気であり、あらたな意志である。過酷な状況ほど人は希望を必要とする。日本のリーダーの弱点は情報分析能力と決断能力のないところだ。政治家、官僚、原子力委員や電力会社の上層部が会議をするだけで決断できず、責任を取らない、都合の悪い情報を握りつぶしたことである。組織のリーダーには決断の勇気と実行力が必須である。ある著名な経営者は、重役の7割が賛成するプランは時すでに遅し、7割が反対するぐらいのプランでやっと先手がとれると言った。イギリスが第2次世界大戦で戦勝国になったのは、チャーチル首相に全責任を負わせて全作戦を指導できる権限を与えたことだった。一方菅首相は原発事故が収束するまで頑張ると言ったが、すでに周囲から「この人が権限を持っているのは当然でふさわしい」とは思われなくなったようである。何とも情けない話だ。私はここ数ヵ月、いろいろな本、雑誌、新聞そしてテレビなどから得た関心のある言葉を辞典で調べることで、世の中の事情の意味をよく知ることができたと思っている。

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