量徳小学校児童会からの贈物と病院局の対応

はじめに

 小樽市および市民、特に量徳小学校関係者の方々にとって量徳小学校閉校と、その場所に新市立病院建設が現実になることは極めて大きな出来事である。

 私はこれまでの経緯を通して、多くの関係者および資料、記事に出会い貴重な体験をしてきた。これらのうちで北海道新聞小樽版の「さよなら量徳小」に載った記事と「小樽市立量徳小学校閉校記念誌」に載った論文は有意義な内容であり感心した。そして特に感動したことは量徳小学校児童会からの贈物であった。このすばらしい好意と善意に対して病院局として感謝と誠意を示すことが大切であると思った。

 

1.量徳小学校児童会からの贈物

 量徳小学校児童会は集めた約420キロ分のリングプルを四輪歩行器に交換し、小樽病院に贈呈された。贈呈式は3月12日の朝礼に全校児童が体育館に集合し、小樽病院から局長の私と原田看護部長を迎えて行われた。児童会の代表から立派な挨拶があった後、歩行器とキティーちゃんのかわいらしい封筒と便箋に7色のペンで書いた挨拶文が私に手渡された。

1)児童会代表挨拶(内容を抜粋した挨拶文)

 私たちは先輩が8年前に始めたリングプルの回収活動を去年の12月まで一生けんめい続けてきました。そして今日、この活動の結晶として、いただいた歩行器を小樽病院さんにおくる事ができます。量徳小学校は、この3月で138年と言う長い歴史に幕をとじます。そして、この学校のある場所には新しい小樽病院が建ちます。正直な事を言うと、この歩行器をさしあげる病院が小樽病院に決まった時、少し「くやしい」気持がありました。病院さえ建たなければ、まだまだ量徳小学校があったのに、この活動もまだまだ続けられたのにと言う思いがあったからです。でも、気持をおちつかせて考えてみると、私たちの大好きな量徳小学校があった場所に新しく建つ小樽病院で学校の姿は消えても、量徳小学校のみんなに協力してもらう事の出来たこの歩行器が使われることはきっと思い出に残ると感じるようになりました。この歩行器には今までリングプルを集めてくれた子供たち、お父さん、お母さん、地域の方の思いそして閉校する量徳小学校の思いがつまった物です。どうか大切にそしてこの歩行器の必要な方が「これがあってよかったな」と思えるように使ってほしいのです。

 この児童会代表の言動はリーダーとしても立派であり、閉校後も量徳小学校の精神、伝統をしっかり引継ぐ意志を示しているものと確信する。

2)贈呈された歩行器の活用

 この歩行器は患者のために最大限活用できるよう、そして量徳小学校児童会からの寄贈であることをわかるようにする。現在外来で患者さんに使用されている歩行器の写真を提示する。この歩行器は患者さんだけでなく職員たちからも大変喜ばれており、大切に使用する。そして新市立病院においても大いに活用されることになると思います。

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2.病院局の対応

1)局長謝辞(内容を補充した挨拶文)

 児童会の代表より、すばらしい、そして本音の挨拶を聞き感動するとともに全校児童の皆さんの明るく、素直で、生き生きとした姿を見て大変嬉しく、ほっとしています。私は量徳小学校を閉校することが皆さんに苦しみ、不安を与えたのではないかと気をもんでいました。ところが、その小学校の児童会から小樽病院に四輪歩行器の贈物をしたいとの連絡が入りました。その時私はじめ職員は本当に驚き、そして喜びと感謝の気持で一杯になりました。皆さんが自分達のことを冷静、客観的に見つめて有益な行動をとれることは立派である。我々大人達も見習う必要があると思います。皆さんは今回のリングプル回収活動を行うことでどんな小さなことでも一生懸命、忍耐強く継続していくことが大きな成果を上げることを学びました。この体験は皆さんの将来に大変役立つものと思います。

 皆さんによく分ってもらいたいことがあります。新しい市立病院は小樽病院と医療センターの2つの市立病院が統合して総合病院になります。病院は病気で苦しみ悩む患者さんを診察治療するために医療者が24時間、365日働いている施設です。病院にはよい医療が行える適切な機能(働き)と規模(大きさ)を有する、交通事情がよい、そして医療者が働きやすい環境にあることが必要です。それで量徳小学校跡地に病院本体、小樽病院敷地に駐車場を建設することが最適であると判断したわけです。皆さんの好意と善意に報いるためにも病院局では新病院になっても量徳小学校の思い出がいつまでも残るような計画を立てることにします。楽しみにしていて下さい。

 私は量徳小学校校歌の第2番目の歌詞に感動します。それは「輝ける希望(のぞみ)の校章(しるし)胸にして、心明るく、身はつよく、まなびの道にいそしむ吾ら」です。皆さんがこれから心身を鍛え、勉学に励み、将来医学・医療の道に進み皆さんの学んだこの土地に建つ新市立病院で働き市民の医療のために大いに貢献することを心から望んでいます。

2)量徳小学校メモリアルガーデン造成計画

 量徳小学校の思い出を残すために新市立」病院と市道大通線の間にメモリアルガーデンを造成する。この計画は学校、校友会、病院局で協議をしたところである。バス停が設置される場所の壁面には量徳小学校メモリアルガーデンの説明文のプレートをはめ込む。説明文の内容は「このガーデンは新小樽市立病院(現在仮称)とともに平成26年に完成しました。この場所には明治6年9月25日に開校した創立138年の歴史を持つ小樽市立量徳小学校(1873年から 2012年)がありました。その学校の思い出とともに季節の移ろいが楽しめるよう、小樽教育発祥之地の石碑やそれぞれの時代の校舎をモチーフしたレリーフなどを配置します。」である。また4枚の歴史的な校舎の写真、そして校章および校歌を載せる。最初の校舎は1878年にほぼ現在地に落成した洋風一部2階建てであった。当時の小樽では群を抜いて立派な建物で、信香町の市街地を見下ろす位置にあり、まさに当時街のシンボルであった。新市立病院のガーデンは大きく3つにわけられ、エントランスガーデンに校友会からの桜と寄贈のプレート、小樽教育発祥之地の石碑を置く。隣接する中央のメモリアルガーデンには春の庭、夏の庭、秋の庭にそれぞれの季節の草花、樹木を植える。3箇所にテラスを設置し憩いの場とする。少し離れたガーデンは冬の庭とし、冬季に楽しめる場所とする。このメモリアルガーデンが小樽の名所となり、多くの人達に利用されることを期待している。

平成26年に量徳小学校跡地に建つ新市立病院は地下1階、地上7階の免震構造であり、安心・安全、利便性のよい、景観のすばらしいことから将来小樽のシンボル的建物になると確信する。

 

 おわりに

 量徳小学校と小樽病院は小樽市の公共建物として、隣接する土地に85年間共に存在し、それぞれの役割を果してきた。量徳小学校は小樽の教育のため大きな貢献をしてきたが現在その役割を終えて閉校し、2つの小学校に統合された。その跡地が小樽の医療のために新市立病院に譲られることになった。このことが量徳小学校関係者に納得と満足、新市立病院の職員にやる気と活躍、そして市民に安心と安全をもたらすことを心から念願する。

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